ボンネビルT100というオートバイの名前の由来をご存じだろうか? オートバイの歴史を動かしたと言ってもいい、トライアンフの偉業と栄光。それがこの名前には集約されている。

トライアンフがさらに愛しくなる歴史を知る

画像: トライアンフがさらに愛しくなる歴史を知る

BONNEVILLE T100

創業から100年以上の歴史を持つ英国のブランド、トライアンフは1885年設立の貿易商社「ジークフリード・ベットマン&カンパニー・インポート・エクスポート・エージェンシー」が起源だが、はじめに扱っていたのは、なんとドイツ製ミシンだった。
 

そのビジネスで一定の成功を収めた創業者のベットマンは次なる道として、当時、流行りつつあった自転車に着目。翌年1886年には「ザ・トライアンフ・サイクルカンパニー」に変更する。まだエンジンは搭載されていないけれど、ここではじめて「トライアンフ」というブランドが生まれたことになる。

トライアンフ製の第一号車は1902年に製造された。

画像: トライアンフ製の第一号車は1902年に製造された。

その後トライアンフは、ミネルバ社製のガソリンエンジンを搭載したモーターサイクル第一号機「ナンバー1」を1902年にリリース。そこからごく短期間のうちにエンジンの自社開発、マン島TTレースへの参戦、2年目での優勝など、オートバイメーカーとして頭角をあらわしてゆく。

そして、トライアンフが企業として急成長を遂げたのは第一次世界大戦。タイプHは軍の兵士から「トラスティ―・トライアンフ」と呼ばれるほどの信頼を勝ち取った。

エドワード・ターナーという天才

SPEEDTWIN(T100)

こうしてオートバイメーカーとして大きくなった訳だが、そのトライアンフをさらに有名にしたキーマンがひとりいる。それが開発デザイナー兼ゼネラルマネージャーとして、アリエルから移籍した「エドワード・ターナー」という人物だ。

ターナーは既存のラインアップをベースに「タイガー」シリーズを開発。高性能と高級感あるスタイリングで、排気量別に3モデルあったタイガーは大きな人気を獲得した。そして1937年に歴史に残る傑作「スピードツイン(T100)」を生み出したのだった。

現行車のボンネビルにも受け継がれるT100という名前はここが原点。そして、このスピードツインこそが今もトライアンフの伝統として受け継がれている「バーティカルツイン」という
エンジンの原点となる。

画像: スピードツイン以来、伝統となり現代までバーティカルツインは受け継がれている。写真はBONNBEVILLE T120のエンジン。

スピードツイン以来、伝統となり現代までバーティカルツインは受け継がれている。写真はBONNBEVILLE T120のエンジン。

最高速度90マイルをマークしたスピードツインは、伸び悩んでいたトライアンフの業績を一気に
改善。トライアンフにとってT100という名前は、歴史上のターニングポイントを意味するほど、重要な名前だということを憶えておいてほしい。

「ボンネビル」という名前は?

ボンネビルが登場したのは、トライアンフがアメリカに進出した後の事だ。アメリカでネームバリューを得るために、ユタ州ボンネビル・ソルトレイク・フラッツで最高速に挑戦していたトライアンフは、1955年にサンダーバート6T(650cc)のエンジンをベースに開発された最高速アタッカーのストリームライナーで世界最高速の193マイル(時速310キロ)を達成。残念ながら公式記録には残らなかったものの、翌年には時速345キロという速度にも到達している。

画像: 「ボンネビル」という名前は?

BONNEVILLE T120

その輝かしい記録をうけ、その名を冠して登場したのが1959年のボンネビルT120だ。

つまり、今も受け継がれるT100という名前は、我々の知る「伝統的な英国車」すべての様式美のはじまりを意味し、ボンネビルという名前は、アメリカ市場で「高性能なトライアンフ」の名を知らしめた栄光の証ということになる。

ただし、どちらの名もオートバイとして最高性能を求め続けた由来によるもの。クラシックではない、あくまで最先端の高性能スポーツバイクとしてのネーミングなのだということを覚えておいて欲しい。

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